SMはその場かぎりの遊びなのか
5年程前、スランプに陥っているかも、と思っていた。
プレイが終わった後に「でも、この男はこの後私の手から離れて何事もなかったかのように生活していくんだよな」と思うとがっかりしていたからだ。
プレイ後に、あるマゾが「僕がもう一人いたらいいのにと思います。今の僕と、SMに捧げる人生を送る僕と。」と言っていた。
私は「どちらに進んでも、持っていない方がきっと欲しくなるよ。」と答えた。
ドミナ側はまだ良いと思う。両方を持ちやすいから。
難しいのはわかっていても、マゾには全てを捧げさせたくなってしまう。
SMはその場限りの遊びなの?
今の私の答えは、そうである時もあるし、そうでない時もある、という、昔の私が聞いたら納得できずに怒るようなものだ。
でも、答えを考えたって仕方がない。
その場の遊びを紡いでいく場合もあるし、それを超えてしまう時もある。
それは考えて出した答えではなくて、それぞれの人間同士の組み合わせで起きるものだから。
じゃあ、今の私はスランプに陥っていないのか?というと、もう抜け出したと思う。
日常まで深く入り込んでいく支配も、マゾが崩れていってしまうのも幾たびか経験して、その時がきたらそうなる、と思っている。
そして、「その場限りの遊び」もいいじゃん、と思っている。
その時その時のプレイを紡いでいくことは、純度を保って世界を続けていく事が出来るから。
二人で飛んだ異世界の時間をそのままに、次はまたそこから。思い出して噛み締めて。
その場の時間を超えていくと、どんどん求めてそれ以上進めなくなったり、理想の世界を保つことが難しくて変わったり、無理をして色々なものがついていかなくなって壊れたりする。
でも、それも悪いわけではない。
そういった過程も、どういう結果になっても、没頭しあってたくさん感情を使って楽しいから。
考えて出した答えだって、変わる。
二人の間で起きたことが事実で、二人にとっての答えだ。
今、会っているマゾたちと、これからどんなことが起きるだろう。
達観しているわけではない。動じないわけでもない。またその度その度に感情を動かしていく。
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